ひさしぶりにGUGIちゃんと仕事しました。
宣伝会議の「コピーライター養成講座」と「編集者養成講座」。
(コピーは坂本が書いています)
十何年か前、ある雑誌に、彼のための紹介文を書きました。
秋山君の寺山的玩具箱と、失われた言葉。
デザイナーやコピーライターについて、どれほどの抽出しを
持っているか、はよく問われるところだが、この喩えはどこか
分類されたビジネスの資料を思わせて好きではない。
むしろ玩具箱と思う。たとえば、葛西薫さんのそれは、想像
するに、古今東西のあらゆる紙や筆記具、顔料、鉛の活字など
で重い。井上嗣也さんの場合なら、生物、無生物を問わず地球
の不思議な産物の博物誌的豊饒さだろう。
秋山具義の玩具箱をひっくり返してみよう。なんだ、これは?
少年マガジンにジャンプ。通信販売の怪しげな機具たち。ブリキ
ほどの値のつかないプラスチックのあれこれ。塩ビの人形。自販
機売りの雑誌に、なんとセーラー服のコレクション!
デザイナー秋山君の特徴的な時代性はここにある。雑多なモノ
の時代の、雑多な都市生活のリアリティ。70年代の寺山修司の
あの饒舌さ、あの猥雑さのように。現在を「愛しい」と思うなら、
これもまたひとつの「美」には違いない。
それにしても、この世代のデザインの「言葉の不在」はどうし
たことか。コピーライターのひとりとして猛省しつつ、そのうち
秋山君に一枚のコピーを渡し、さあどうするのか、生かすか殺す
か、と迫ってみるつもりである。
どうなの? 結構、本質を言い当ててるんじゃない? グギント!
ぜんぜん褒めてないようで、でも、今を予見しているでしょ。
それから数年後に「秋山君に渡した一枚のコピー」は・・・
けれども、君は、永遠じゃない。
PARCO の仕事でした。
抱腹絶倒のブログです。
秋山具義のラーメンとデザイン