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一倉 宏

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2015/06/20 (土)
BLOG再開 〜 最近のコラムから

ずいぶんお休みしてしまいましたが、ぼちぼち再開します。

 

シャレの通じないオシャレな時代に

 

もしも男性のあなたが、「いつもオシャレですね」と若い女性
からいわれたとしたら、それは最高のほめことばと喜んでもいい
だろう。ファッションに限らず、ひとの所作や言動、店舗の空間
や料理、趣味や音楽、あらゆる分野について。そのほめことばは
現代風俗のあらゆる場面で最高位の評価といえる。
よもや男性かつ年輩のあなたは、「またダジャレ」などと彼女
たちにいわれることを喜びはしないだろう。そうとう面白いそれ
を思いついた瞬間にも、ぐっと飲み込むに違いない。またの名を
「オヤジギャグ」という。「ダサイ」「キモイ」「ヒク」など、
最低の評価を覚悟しなければならない。ほぼ間違いなく。
もともと「オシャレ」は「お洒落」、「ダジャレ」は「駄洒落」
であることを、若い彼女たちは知っているだろうか。辞書によれ
ば「洒落」は「気のきいたこと」「粋なこと」。また「粋なこと
ばづかい」も「洒落」だったことを。その多くは語呂合わせ、か
けことばの類いだ。作者は気のきいたつもりでも、うまくいかな
かった失敗作が「駄洒落」であった。本来はね。ところが、この
手の言語表現の技法、遊びが、いまはことごとく「駄洒落」に分
類され「ダジャレ」と断罪されている。ほぼ間違いなく。
これは、どうしてだろうか。
いまでもスポーツ紙の見出し、ときには一般紙でも社会ネタの
見出しに、この技法は使われる。けれど「シャレてるね」と評価
するひとは少ない。アハハと笑って「面白い、このダジャレ」と
喜ぶオジサンはいたとしても。書き手もそれを承知の、オジサン
に違いない。じつは私も、その、隠れオジサンのひとりなのだが。
若い女性に「なぜ、そんなにダジャレが嫌いなの」と聞いたこと
がある。彼女はいった。「加齢臭がするから」。
まったく、どういうことだ。
そもそも、掛詞(かけことば)は、歌を詠むときの重要な技法
であった。国語の授業で学んだはずだ。皇族貴族をはじめ、身分
ある者、教養人にとっての常識だった。これを使いこなせないの
も、理解できないのも恥だった。太田道灌の逸話も知らないのだ
ろうか。「太田道灌 山吹」で検索!
時代は下って、江戸期の町民にとっても「洒落」や「粋」は大
切にされた価値観であって美学でもあった。その反対語は「野暮」
だった。「野暮」は江戸っ子の恥だった。気のきいた「洒落のわ
からない」男は「野暮」だった。もてなかった。
兄のように慕ったコピーライターの故・眞木準さんは、そんな
言語の技法を広告界に文芸復興させた功労者である。惜しいひと
をなくしたものだ。ほんとうに粋でオシャレなひとだった。ご本
人も気に入っていた俳号は「無乱人」。「ぶらんど」と読み、た
とえ酔っても乱れることのなかった人柄にふさわしい。
そんな眞木さんのコピーを、うっかり「ダジャレコピー」など
と呼んではいけない。「オシャレコピーだから」と、矜恃をもっ
て名のられていた。いま、それを継げる才能は少ない。航空会社
の「でっかいどお。北海道」、ビデオカメラの「ボーヤハント」
など。これらの名作をコピー史の講義で紹介すると、とくに女子
学生の人気がいまでも高い。オシャレは通じるのだ。
私も以前から、ときおりこの技法をチャレンジしてきた。けれ
ども、なかなかむずかしい。オシャレの域には達せない。それで
も、あきらめたわけではない。新聞の見出しにも頑張ってほしい。
「洒落の復権」。「この見出し、シャレてるねえ」と読者をうな
らせる、新聞界の眞木準が現れることを期待します!

 

          毎日新聞社広告局「SPACE」5月号 巻頭コラム