blog ブログ

一倉 宏

Back Number
2015/08/11 (火)
70年目の夏に
もうずいぶん以前のブログにも書いたことがあるのですが。
こういう年なので、もういちど思い出してみます。
戦争のさなかに女学生だった母のつくっていた短歌です。


 マーシャルの悲報を知りし今朝なれば
 皆黙々と麦を踏みにき
 思い出多きテニスコートを耕して
 芋うえる為われも鍬もつ
 佐々木那や夏目漱石読みくれし
 若き師の君召され征きたり 


女学校の授業はすでになく、女子挺身隊と呼ばれ軍用機をつくる
工場で勤労奉仕していたこと。そのような話を聞いたのも、
こどもの頃の記憶。その時の母は、いまの私よりずいぶん若い。
そしてそれは、まだ戦後20数年という時代だったこと。
親の体験談であるし、こどもの頃に聞いた話でもあるので、
「おとなたちの戦争の話」という記憶の書架にそれはあって。
思えば、しかし、とんでもないことに気づくのです。
自分の想像力の愚鈍さが、滑稽なほど、今頃になってわかる。

この歌をつくったのは、10代の少女だったこと。
徴兵された国語科の教師だって、おそらく20代の若者だった。
これは「若者たちの戦争の話」じゃないか。
「若者たち」こそ、最前列の当事者になるのが「戦争」だった。

70年間、その当事者をつくらなかったのは、
なんとも偉大なことではないかと、あらためて気づくのです。