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一倉 宏

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2010/03/16 (火)
試験によく出る 私?

寒さと温かさの交互する春の日々に、
今年も入試と発表のシーズンが幕を閉じます。

昨年は、拙文が「灘中」入試問題の国語で出題された・・・
という知らせが飛び込んできて、腰を抜かしそうでした。
それはネット上の速報で知りました。
さすが、灘中、塾の先生方が即日調べ、解説付きでした。
出典は拙著『ことばになりたい』、その「まえがき」です。

じつは、一昨年も龍谷大学で出題されましたが、
(「ことばの仕事」〜これも同書の「あとがき」として収録 )
それを知ったのは問題集の出版社からの「掲載のお伺い」通知が
届いたからでした。・・・そうですよね。
事前に「出題のお知らせ」は、できませんからね。

   
 「できそこないのドラえもん」かもしれない、と思う。
 もしも「ことば」を何かに喩えるとしたら。それは、私たち
の気持ちをかたちにして、希望を叶えようとして、さみしさを
打ち消そうとする何か。けれども、ドラえもんのように万事を
うまく解決できるわけではありません。ことばは、ドラえもん
よりもっとぶきっちょで、もっと原始的なシステムだから。
 たとえば、誰かととてもうまくコミュニケーションがとれた
ときなど、ことばは万能のもののようにも思えます。しかしそ
れは、むしろまれです。私たちの抱える問題の多くは、たいて
い明日に持ち越されます。そして、そのほとんどは対人間、コ
ミュニケーションの問題にかかわるものです。相手が、友人に
せよ家族にせよ、あるいは組織、社会そのものにせよ。私たち
は、なかなか納得のいくコミュニケーションを構築することが
できません。きょうも寝るまえに、私たちの「ことば」という
この「できそこないのドラえもん」は、ぐったりと肩を落とす
でしょう。「役立たずのポンコツめ」と、ののしりたくなると
きもあります。けれど私たちは、このできそこないの相棒を手
放すことはありません。きょうはだめでも、きっといつかはわ
かってもらえる。そう考えて、ふとんを被って眠る。そんなか
すかな信頼を、私たちは希望と呼ぶのだと思います。(以下略)

              (『ことばになりたい』より )

灘中の出題は、これからさらに続き、かなりの長文。

私も、解いてみました。
よく「作者も正解がわからない問題」などと揶揄されますが、
そんなことはありませんでした。良問でした。
全問、正解できたと思います。・・・たぶん!