私の好きな古書店、小宮山書店の1階スペース。
開高さんの初版本などもあって、値付けからも人気のほどがうかがえます。
この「戦後文学コーナー」で、あるとき「SUN-AD at works」を目撃!
サン・アドの社史&作品集です。この陳列、なかなかの見識ではあります。
この労作のデザインは、もちろん葛西薫さん。
拙著「ことばになりたい」のデザインもしていただいたお礼にと
北園克衛編集・デザインの「VOU」バックナンバー(70年代のもの)を
購入したのも、このコーナーでした。
葛西さんのデザイン、タイポグラフィには、どこか北園さんが、薫る。
詩人そしてデザイナー、アーチストとしての北園克衛、
雑誌「VOU」の評価は、これからますます高まるに違いありません。
僕たちは何のこどもだったのだろう
まもなく我が子が成人する年代になって、つくづく「こどもは親の子である
以上に時代のこどもなのだ」と思う。こうため息を漏らすとたいていの友人
はうなずくから、普遍的にだれも心当たることなのだろう。
僕らの成長した時代は、いろいろに名付けることができる。キーワードで言
えば「平和」も「戦後民主主義」も、頼もしい兄貴のように存在していた。
この比喩は二重の意味を持つ。すでに「戦争を知らないこどもたち」は存在
していて、僕らは弟のように憧れも失望も抱いてきたのだ。そして手痛い挫
折を経験しなかった、その見聞だけで終わったしこりがいまもどこかに残る。
ただし、こういうニュアンスは世代論としてナルシスにも自己弁護にも陥る
からここでは細かい解剖をしない。ビートルズも戦後教育も、そのこどもた
ちのいちばん下の弟だということにする。
近年に山下達郎の歌った「アトムのこども」は、ほぼ意識的に谷川俊太郎作
詞による「ラララ 科学の子」のフレーズから本歌取りしているだろう。
「科学」もまた「平和」や「民主」あるいは「希望」ということばと同じジャ
ンルにあったと、僕自身の語感が証言をする。戦前戦中の日本の最大の誤り
は「非科学的」だったこと、その反省が社会全体に色濃く残っていた。昭和
の天皇の後半生が自然科学者であったことは、まさしく象徴的だ。経済の高
度成長は、このような社会の性格が用意した。優秀な同級生の多くが工学部
理学部に進んだことを思い出す。社会科学も、少なくとも国文学より胸を張
っていた。みんな、アトムのこどもたちだった。
何かが狂ってしまった時代を、いまでは「バブル期」と呼ぶ。
この国が「科学」の堅実さで食べてきたことを忘れてしまったみたいだった。
工学部卒の友人のひとりは、技術部門から実態の曖昧な企画部門へ転属させ
られた。新卒男子の新入社員たちは、やけにオシャレだった。NTTデータ通
信(現・ NTTデータ)の企業広告は、このような時代の余震のさなかで制作
された。時の人となったS ・ W ・ホーキング博士をはじめ、大脳生理学者R・
スペリー博士、人類の千年後を語る物理学者F ・ダイソン博士など、ノーベ
ル賞級の頭脳、7人の科学者たちに登場いただいた。科学的であることも民
主的であることも、要はルールが誰にでもフェアだということ。近道にだま
されないということ。それは正しいと、おそらく僕は確信犯のようにこのコ
ピーを書いていた。あれからさらに10年、いまは何と名付けるべき時代なの
か。「脱工業化社会」の標語に文句はないけれど、非科学への退歩はごめん
だ。もうすぐ、未来がやってくる。
開高さんによるサン・アド創立の言葉は「徹底的な共和主義」「民主主義」
を謳っている。そして「アメリカ直輸入の理論や分析のおためごかしを排す」
とも宣言している。彼が「科学嫌い」なのではないだろう。広告のクリエイ
ティブに科学はいらない、と言っているのだと想像する。美しいこと、楽し
いことを、定量分析の科学で語るのは非科学的だと。さらに想像する。開高
さんが、今日の書店に足を踏み入れて平積みのベストセラー群を見たら何と
言うのだろう。そんなに簡単に成功したり金持ちになったりする「法則」や
ガンが治ったりする「発見」を、みんな本気で信じているというのか。僕ら
があんなに大好きだった、開高健は仁王立ち、鉄腕アトムが哀しげな目をす
るのを、僕はいま想像する。
「SUN-AD at works」( 2002 )より