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一倉 宏

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2010/07/05 (月)
「蛍の想い」に書いたこと

東京 FM の番組「 Tokyo Copywriters’ Street 」に
毎月、朗読のためのストーリーを書いています。
7月のテーマは「蛍」でした。

・・・だめなんです。
私は「蛍」について思う、それだけで、胸がかきむしられるようで。
こんなストーリーを春海四方さん(元・一世風靡セピア)が読んでくれました。
とてもいいです。春海ワールドです。
その人柄そのまま、朴訥、無作為の名演です。
下記のサイトにアップされています。ぜひ、お聴きください!

  蛍の想い
        
 1945年 戦争の終わる夏
 日本の各地には たくさんの蛍が飛んだ
 たくさんの たくさんの たくさんの蛍が
 せめてそうやって ひそかに故郷に帰りたいと願った
 若者たちがいたことを 私たちは知っている

 その頃は東京にだって
 山手線の外側には まだ田んぼがあり小川があった
 蛍たちは 水を飲んで渇きを癒し そして切なく光った
 玉川上水の近くに住んでいたおばあさんは
 その夜をきのうのことのように 憶えている

 1960年代 オリンピックがあり 高度成長がはじまる
 それでもまだ 蛍たちはいた
 全国いたるところの里山に 田園に たしかにいた

 やがて 川の水は汚れ
 東京の用水や上水は ことごとくコンクリートの蓋をされた
 だから 蛍たちは姿を消したのだという
 誰もが そう信じている
 だけど そうだろうか? ほんとうに?

 蓋をされない玉川上水を いまも散歩するおばあさんはいう
 「みんな 戦争のことを忘れたからだ」と
 「戦争のことを 思い出さなくなったからだ」と
 戦争で死んだ 若く 寡黙な 無念な 若者たちのことを

 1960年代には まだ 戦争は語られた
 思い出された若者たちの数だけ 蛍は飛んだ
 くりかえし語られて 夏の闇に蛍は光った
 そうじゃなかったろうか?
 70年代 80年代と 戦争が語られなくなるたびに
 あの蛍たちは どこかに消えたのではなかったろうか?

 2010年のいま
 どうしてあの戦争は 語られなくなったのだろう
 どうして蛍たちは こんなに少なくなってしまったのだろう
 このままだと 絶滅してしまうかもしれない
 あの蛍たちは
 あの若者たちの 痛恨の思い出は

 それでも 東京のあちこちで
 今年の夏も「ホタル観賞の夕べ」が開かれるだろう
 一生懸命に 限られたわずかな環境を整え 飼育された蛍たち
 私も数年前 近くの公園でそれを見た
 二晩だけの限定の催し 長い列に並んで1時間待ち
 7つほどの舞う光を たしかに見た
 その夜 7つだけ 若者たちの魂の残光を見た
 何十万 何百万のうちの たった7つだけ

 そして いつの日か
 20XX年の日本に たくさんのたくさんの蛍の飛ぶ日が
 ふたたびやってくることは あるのだろうか

 私たちはそれほど 賢いだろうか?
 あるいは それほど 愚かだろうか?

 忘れないでください
 源氏 平家の昔から 戦争で死ぬ若者たちの残した想いが
 この世の蛍となることを

 蛍の想い( 2010.7.4.放送 )