6月15日@オーチャードホールのチャリティコンサート
森山良子&FRIENDS『生きる』で、この曲を歌ってくれました。
(なんと・・・皇后美智子様もいらした晴れの舞台で)
つづいて19日の『パンドラの箱船』@青山円形劇場の出来も
一回公演だったのがもったいないほど。
積水ハウスやシャープAQUOSのCMソングを歌ってもらったり
われらが朗読ライブで共演したりしてる( → Topics 参照 )から
このことを言うのでは決してなく。
村上ゆきさんの「歌心」・・・音にのせた「ことば」の伝え方は
やはり希有な才能だとあらためて感心しました。
「心ある歌」「心つたわる歌」
オーチャードでの観客は年齢層が高かったのですが・・・だから
こそ、その観客を魅了していたことが誇らしいのです。
いつの時代もポップスはラブソングであり、恋心を歌ってきた。
たとえいくつになっても私たちは、くちづさむ歌があり、思い出
をよみがえらせるポップソングをもつ。聴くことで歌うことで、
私たちはいつだって、その恋心を再体験できる。ポップスは歳を
とらない。いつまでも若くみずみずしい。その時の自分のままに。
それは素敵な体験でもあるけれど、私たちはおとなになるほど、
そこにある淋しさを感じたりもする。ポップスは、おとなになら
ない。人生の旅が進むほど、ポップスは遠ざかってゆくようだ。
恋人たちも、やがておとなになる。なのにポップスはなぜ、おと
なになれないのだろう。
大好きなポール・サイモンが、ある時こんな発言をしていたの
を思い出す。「みんな、30才を過ぎるとポップスを楽しめなくな
るという。違うんだ。おとながこころから楽しめるポップスが、
つくられていないだけなんだ」と。そうだ、ポール・サイモンは
素晴らしいことを言った。
(中略)
近年の音楽業界はアーチスト側に立つあまり、CMをタイアッ
プの機会としか見なさず、広告コンセプトに沿った曲づくりには
まったく協力的でない。かつての日本の名作ポップスの多くが、
おたがいの話の通じる「おとな」な関係から生まれていたのに。
(「みんなCM音楽を歌っていた〜大森昭男ともうひとつのJ-POPS」
田家秀樹著・徳間書店刊を読んで、思い出してください。)広告
業界のみなさん、村上ゆきの可能性は幅広く、そしてじつにカン
が鋭く、いい仕事します。私が保証します。わが同業のみなさん、
彼女のような才能こそ生かし、大切に育てていきましょう。
( アルバム『1ミリのキセキ』への推薦文 )