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一倉 宏

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2010/07/25 (日)
村上ゆき のこと

6月15日@オーチャードホールのチャリティコンサート
森山良子&FRIENDS『生きる』で、この曲を歌ってくれました。
(なんと・・・皇后美智子様もいらした晴れの舞台で)

 夢にできること

つづいて19日の『パンドラの箱船』@青山円形劇場の出来も
一回公演だったのがもったいないほど。

積水ハウスやシャープAQUOSのCMソングを歌ってもらったり
われらが朗読ライブで共演したりしてる( → Topics 参照 )から
このことを言うのでは決してなく。
村上ゆきさんの「歌心」・・・音にのせた「ことば」の伝え方は
やはり希有な才能だとあらためて感心しました。
「心ある歌」「心つたわる歌」
オーチャードでの観客は年齢層が高かったのですが・・・だから
こそ、その観客を魅了していたことが誇らしいのです。

  いつの時代もポップスはラブソングであり、恋心を歌ってきた。
 たとえいくつになっても私たちは、くちづさむ歌があり、思い出
 をよみがえらせるポップソングをもつ。聴くことで歌うことで、
 私たちはいつだって、その恋心を再体験できる。ポップスは歳を 
 とらない。いつまでも若くみずみずしい。その時の自分のままに。
 それは素敵な体験でもあるけれど、私たちはおとなになるほど、
 そこにある淋しさを感じたりもする。ポップスは、おとなになら
 ない。人生の旅が進むほど、ポップスは遠ざかってゆくようだ。
 恋人たちも、やがておとなになる。なのにポップスはなぜ、おと
 なになれないのだろう。
  大好きなポール・サイモンが、ある時こんな発言をしていたの
 を思い出す。「みんな、30才を過ぎるとポップスを楽しめなくな
 るという。違うんだ。おとながこころから楽しめるポップスが、
 つくられていないだけなんだ」と。そうだ、ポール・サイモンは
 素晴らしいことを言った。 
    (中略)
  近年の音楽業界はアーチスト側に立つあまり、CMをタイアッ
 プの機会としか見なさず、広告コンセプトに沿った曲づくりには
 まったく協力的でない。かつての日本の名作ポップスの多くが、
 おたがいの話の通じる「おとな」な関係から生まれていたのに。
(「みんなCM音楽を歌っていた〜大森昭男ともうひとつのJ-POPS」
 田家秀樹著・徳間書店刊を読んで、思い出してください。)広告
 業界のみなさん、村上ゆきの可能性は幅広く、そしてじつにカン
 が鋭く、いい仕事します。私が保証します。わが同業のみなさん、
 彼女のような才能こそ生かし、大切に育てていきましょう。

          ( アルバム『1ミリのキセキ』への推薦文 )