「ああ やれんのう、こがあな辛い目に、なんで遭わにゃあいけん
のかいのう」―――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえ
た被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊と共に、改
めて「こがあな いびせえこたあ、ほかの誰にも あっちゃあいけん」
と決意を新たにする8月6日を迎えました。
今年の広島「平和宣言」で、秋葉市長はこう語り出しました。
紋切り型の多い日本のパブリックなスピーチのなかでは珍しい例です。
まず、このことばには「伝えようとする意志」が感じられます。
「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり・・・」
「併せて参列者並びに広島市民の皆さまのご健勝を祈念申し上げ
私のあいさつといたします」
同じ日、同じ場での菅首相のスピーチは、こう始まり、こう結ぶ。
もったいない。せっかくのチャンスでしょう、首相。
どうしてもっと「ことばのちから」を大切にできないのかなあ。
昨年の同宣言は、こんな結びで話題を呼びました。
最後に、英語で世界に呼び掛けます。
We have the power. We have the responsibility.
And we are the Obamajority.
Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.
だからオバマさん、駐日大使をはじめて列席させた・・・
というわけでも、ないのでしょうけど。
2004年同宣言の冒頭部分。
「75年間は草木も生えぬ」と言われたほど破壊し尽された8月6日
から59年。あの日の苦しみを未だに背負った亡骸(なきがら)——
愛する人々そして未来への思いを残しながら幽明界を異にした仏た
ちが、今再び、似島(にのしま)に還り、原爆の非人間性と戦争の醜
さを告発しています。
残念なことに、人類は未だにその惨状を忠実に記述するだけの語彙
を持たず、その空白を埋めるべき想像力に欠けています。また、私
たちの多くは時代に流され惰眠を貪(むさぼ)り、将来を見通すべき
理性の眼鏡は曇り、勇気ある少数には背を向けています。
2000年同宣言の結語。
20世紀最後の8月6日、私たちは、人類の来し方行く末に思いを
馳せつつ広島に集い、一本の鉛筆があれば、何よりもまず「人間の
命」と書き「核兵器廃絶」と書き続ける決意であることをここに宣
言し、すべての原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げます。
もしも、このスピーチが外電で配信されていたならば。
世界の読者の多くは、ここにエリュアールの有名な詩「 Liberte 」を連想
するでしょう。そして、世界にコミュニケーションしようとする意志をつ
よく感じ取るでしょう。上出来のスピーチライティングです。
2010年の「毎日広告デザイン賞」第2部/発言広告の部では
「核のない世界」を課題(テーマ)の1つとして掲げています。
この部の最優秀作品は、実際に同紙上に掲載されます。
若き皆さんの応募を、期待します!