一昨夜、村上ゆきさんとCMの音楽録りをしていて。
キーをどうするか、という検討のなかで。
ここのところ、もう何年も(ざっと20年もつづいている)この業界の
「クラクないか?」「もっとアカルクならないか?」というチェックが入って。
クライ、アカルイ、という、その単純なことばの不毛さを嘆く。
単に「アカルク」歌うことで失われる様々なニュアンス・・・
について、ゆきさんに実際に歌ってもらって、やっとみんな、わかったようで。
美は(神は)細部に、陰影に宿る、のだから。
もう、やめにしない?
その「アカルイ」「クライ」という尺度。
どんどん、ひとを「感じなく」させる、感受性のブルドーザー。
テレビで、CMで、「アカルサ」が「クラサ」を駆逐してきた時代。
それが、学校の教室でも真似されているんじゃないかと、心配する。
だとしたら、この業界の、僕らの責任も大きいのだから。
平家ハ、アカルイ。
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。
太宰治『右大臣実朝』のなかの名言を思い出します。