(石原都知事は)太平洋戦争を引き合いに「同胞の痛みを分かち合うことで
初めて連帯感ができてくる」「戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦
には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」と、都民に対し、事実上
の “花見禁止令” を通達した。 (中略)
上野公園をはじめとする都立公園では、飲食を伴う花見自体は禁止しないが、
アルコールが入り過度に盛り上がっている団体には、ガードマンが自粛協力
をお願いするという。千鳥ヶ淵緑道のライトアップや、国立劇場や靖国神社
などのお花見イベントも中止が決まっている。
( Sankei Biz 3/31 より引用 )
杉並の「都立」善福寺川緑地公園に、恒例の地元商店街の売店はなく
それでも例年と変わらない人出がありました。
今日
この日
花を見
ひととき酒を酌む都民の
いったい誰が
「同胞の痛みを
分かち合っていない」
というのだろう?
誰が
それほど「愚鈍」だと
この為政者はいうのだろう?
文学者にしていえるのだろう?
今夜、4選が決まっても祝杯を酌まない(ですよね?)
石原都知事の掲げた「桜と日本人」論には
つぎのような考えをもって反駁したいと思います。
国語の先生がしてくれた「桜」の話
もうすぐ卒業するみなさん おめでとう
もうすぐ この学校とも先生たちとも
さよならをする日が来ます
そしてその日 校門を出れば あのバス通りの交差点が
みなさんの 最初の別れ道になるでしょう
信号を渡るひと 待つひと 駅へと曲がるひと
どんなに名残惜しくても そこはもう別れの道です
3年前 新入生のみなさんを迎えたのは
校庭の桜の 花吹雪でしたね
あの桜は 今年みなさんを見送るために
咲き急いでいるかもしれません
最後に贈る言葉として
「桜」の話をしようと考えました
国語の授業のあるときに
日本の古典文学で ただ「花」とあることばは
「桜」のことを指していると
お話したのを憶えていますか
「花」といえば「桜」 は 暗黙の了解でした
それほど
日本人は「桜の花を愛してきた」といえます
しかし この「愛する」ということばを
ただの「大好きな気持ち」とは考えないでください
きょうは その話をしたかったのです
日本の昔のひとのつくった詩 歌を読むと
「桜」という花を 単純に「好きだ」ということはなく
むしろ「悔しい」とか「悲しい」「切ない」
という気持ちで 表現しています
「桜の花」は美しいけれど あまりに短い時間で散ってゆく
そのことに「胸を痛める」歌ばかりなのです
先生は これが「愛する」ということばの
ほんとうの意味ではないかと思います
桜の花は 咲いて散るまで わずか数週間
けれど 私たちのいのちだって やはり
限りあるものです
日本人が 桜の花からもらったものは
そんないのちの いま生きている時間の
かけがえのなさ 愛おしさ
だったのではないでしょうか
もうすぐ卒業式 別れの時
ちいさな翼の生えはじめたその肩を
桜色のまぶしい風が押すでしょう
そのいのちを 大切に
卒業 おめでとう
***
『ことばになりたい』所収。
本篇の初出=FM東京の番組「Tokyo Copywriters Street」において
2007年3月23日に放送された朗読作品。出演は、女優の山下容莉枝さん。