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一倉 宏

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2011/06/02 (木)
「世界の終わり」を考える

村上ゆきさんのために、いくつかのスタンダード曲を日本語訳して。
そのひとつが「 End of the world 」でした。
これはどうしたって「世界の終わり」と訳すほかはありません。

 知らないの 鳥たちは
 空満ちる 星は
 もう終わる この世界が
 終わってしまうのに

さて、これをいま、たとえばラジオで流していいものかと迷う。
いやいや、それは考えすぎのはず。だけど。

そして、「世界の終わり」という名のバンド。
はじめて聴いたときは、ちょっと「過敏・過剰」にも思えたけど。
いやいや、いまいちばん「ことば」が旬なアーチストかもしれない。
昨年末リリースの「正義と悪魔」、すばらしい歌詞です。

 「正義」を生み出した神様 きこえてますか
 あんなものを生み出したから みんな争うんだよ

うーん、きこえてますか。サンデル教授ならなんていう?

70年代なかばに「終末から」という雑誌がありました。筑摩書房刊。

p1

いまみると、なんかおどろおどろしい、カルト雑誌に思えるかも。
なんのなんの、開高健、さらに石原慎太郎だって寄稿してるし。
なにより、あの井上ひさしの名作「吉里吉里人」の初出が、この雑誌。
その挿絵が、あの佐々木マキ!( 後に、村上春樹との名コンビ )。

いま思えば、いつのまにか忘れた( 思考停止してきた結果 )
この不安と悲観、この想像力のほうが、むしろ健全なのでは。
「想定外」って、つまり「想像力の不足」ってことに過ぎなかった。

「世界の終わり」がありうることを、ちゃんと考える。
人間にはもう、その責任があるのだから。
「化石燃料に頼った世界」「核の抑止力に頼った世界」
・・・の「終わり」だって、ちゃんと想像してみなければ。

そうして、丸山健二、新刊エッセイ集のタイトル
「さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない」
こんなときになんとぴったりなのかと驚嘆します。

 われわれにとって何かもっとよい未来があるにちがいない
 さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずはない

              ヨハン・ペーター・ヘーベル