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一倉 宏

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2011/07/07 (木)
ぼくらが「ことば」を失ったあと

被災地にいる君へ

 都内でもいちばん君の好きだった青山通り、国道246号は夜の散策に
もってこいの季節を迎えたいまも、ほのかに暗いです。いつかいっしょに
歩いた赤坂見附から青山一丁目にかけてのあの道は、南に御用地の森を抱
いていることもあって、とりわけ夜の色と匂いを濃く感じます。
 震災直後の張りつめた危機感のなか、はじめは不気味に感じたこの暗さ
にも、いまは慣れました。慣れてしまえば、とくに不都合もないことに気
づきます。こんなことでもないと、ひとは慣れてしまった「過剰」を考え
ずにいたでしょうか。
 いまも被災地のニュースをみて、それからときどき、当地にいる君から
のメールを読んで、あらためて思い知らされます。東京は被災地じゃない
ことを。笑わないでください。あるいは、怒らないでくだい。
 そういえばいま、「震災後のコミュニケーション」「価値観の変わった
時代に」とかいうテーマで寄稿を依頼されています。けれど、どうだろう。
いまの僕に、そんな大きな器の話ができるとは思えません。正直にいうな
ら、それについては悩むばかりの毎日ですから。
 忘れるべきではありません。あのときから長い期間にわたって、あらゆ
る広告が「失語」しました。テレビCMは、代替措置の公共広告放映がい
つまでも続きました。不可思議なことに、いわゆる「お見舞い広告」のた
ぐいにさえなかなか差し替わりませんでした。新たな出稿、撮影等も中止
あるいは延期。各企業、広告会社、制作者たちが、いまなにをすべきか、
なにをいうべきか、迷いためらい、考えあぐねているうちに時間は過ぎて
ゆきました。
 ひと月ほどたった頃でしょうか。仙台にいる知人から「いいかげんあの
公共広告はやめにしてくれ」という苦情をもらいました。広告業界にいる
僕にぶつけたのでしょう。けれど、そちらでコピーライターをしている君
に現地の「温度感」をたずねてみたら、とても通常のCMなどみる気にも
つくる気にもなれないと答えましたね。どちらが本音とか多数派という問
題ではないだろうと思います。
 言い訳はしたくないけど。そうしているあいだにも、こちらなりに水面
下ではたくさんの動き、試みがありました。なのに結果として、広告はそ
の間ほとんど「ことば」を失った、といわざるをえません。痛烈な反省と
ともに、なんともやるせない悔しさを、僕らの仲間、多くの関係者に残し
たことと思います。
(中略)
 すでに3カ月が過ぎて、広告は通常運転にもどりはじめています。計画
停電の話が出なくなり、過しやすい季節を迎えて、あの緊張感もうすまっ
ています。被災地にこころを寄せるといいつつ、被災しない地の日常はも
どっていきます。
 だれにも、2つの思いがあるのかもしれません。いつまでも非常時では
いられない。通常の業務にもどることは必要ではないか。それがまずひと
つ。もうひとつは、けれどそれでいいのか。まるで「なにごともなかった
ように」もどれるのか。
 僕自身も日々揺れています。広告コミュニケーションがひとのこころを
相手にするものならば、その答えはまた、どちらにも傾きつつ、しかし、
それでは答えにならないという矛盾に悩むことになります。
 価値観の変わった時代。そもそもその命題が、じつは曖昧なものかもし
れません。たしかに、価値観の変わるような体験をして、いや、自分自身
がしたのではないけれど、変わるはずだ、変わらなければと思いつつ、し
かし現実に、生活はどのように変わっていくのでしょう。もしかしたら、
ほとんど「変わらなかった」ということもありうるのです。
 価値観が変わった。それは10年20年たってから指摘できることじゃ
ないのかな。「あのときたしかに」というかたちで。その潮目をいま目の
前にして、けれどゆくえはまだだれにもわかりません。
 ふりかえれば。戦後の日本のいちばん大きな潮目は、1960年代の後
半にあったはずです。君の生まれる前の話で、ぴんとこないだろうけど。
70年にはキャンペーンコピーの名作「モーレツからビューティフルへ」
も生まれていました。(中略)
 あの広告キャンペーンは(とくに若い世代には)たいへんに共感された
のです。しかし、その後の70年代、ひとびとの価値観が「ビューティフ
ル」に向かったとはとても思えません。もしそうだったとしたら、バブル
の虚栄なんて迎えなかったでしょう。そして、いまのエコロジーやスロー
ライフ、「モノの豊かさからこころの豊かさへ」だってとっくに実現して
いたでしょう。
 長いメールになりました。
 そろそろ終りにします。なんの結論もないままに。もうすこしです。
 いまは、ほんとうに大切な時期だと思います。誤解をおそれずにいうな
ら「チャンス」なんです。いまは。広告は、やっぱりちょっと調子に乗り
すぎて、もちろん調子よいノリも明るさもあっていいのだけど、それ一辺
倒になってしまったのじゃないかな。いつのまにか。あの青山通りの、あ
の夜の暗さに思い出しました。広告は、僕たちの大好きな広告は、もっと
もっと、別のコミュニケーションだってできるはずなんです。
 君は、どう思いますか。
 君なら、どう考えますか。
 広告とは、もともと楽観主義者の仕事かもしれません。しかし、君から
楽観的なことばを聞けたらとてもうれしいけれど、いま僕がそれをいうこ
とは、やっぱりできません。
 そして、もうひとつ。
 僕から君に、そちらのみなさんに「がんばろう」というのは違うと思う
けれど、君が最後に書いてくれた「がんばってください」のひとことは、
じつに身のひきしまるもので、その厳しさもちゃんと含めて、ほんとうに
うれしく受け取りました。
 ありがとう。             
                       2011年  初夏

                  (『宣伝会議』7/1号に寄稿 )