毎日新聞社広告局発行の季刊誌「SPACE」巻頭に連載中のエッセイ、
「FOREWARD」。No.386. 2011.9. より。
青葉さんを偲びつつ、広告の勇気について。
アートディレクターの青葉益輝さんが逝去されました。ながらく本誌の
デザインを担当され、また毎日広告デザイン賞の審査でもご一緒させてい
ただいておりました。とくに第2部「発言広告の部」では、新聞の公共性、
広告の社会性についてたいへんに啓発されました。もうその謦咳に接する
ことができないと思うと残念でなりません。
今回は、青葉さんを偲びつつ、広告の社会的意味を私なりに考えてみま
す。青葉さんならなんておっしゃるだろうかも想像しながら。
企業にとっての広告とは、まず営利活動に資するもの。それが私たちの
仕事です。しかし、広告と社会との関わりは深いものです。広告はそこに、
ある強みも、そして弱点ももっています。
こんな思い出話から、はじめてみます。
いまから、もう30年も昔のこと。私は宣伝部の制作担当部門に所属し
ていました。はじめて海外ロケに行ったのは、アメリカ西海岸。当時はい
まよりドルは高く円は安く、それでも新入社員に毛の生えたばかりのワカ
ゾーまでビジネスクラスに乗せてもらえて。いやいや、そんな昔はヨカッ
タ話をするつもりはなく。私はそこで、広告先進国アメリカの、TVCM
や新聞広告をはじめてナマで見たのでした。それは、予想と期待を裏切る
ものでした。ときは1980年代初頭、レーガン大統領が就任した当時の
ことでした。
私の記憶に残っているのは、こんな広告です。
さまざまな食品、飲料、日用品の広告で、どれもこれも超アップの商品
写真。クリームたっぷり、バターこってり、これでもかといわんばかりの
シズル感。いまなら50セントOFF、30%増量などのバカでかい文字。
それが商品広告の原点ということは知っています。しかし、なんのアイデ
アもメッセージもありゃしない。これなら(当時の)日本の広告クリエー
ティブのほうがずっとレベルが高い。そう感じたのは、まもなく経済が絶
頂期を向かえようとしていた国の、ワカゾーの単なる思い上がりだったの
でしょうか。
それから十数年たって、日本にもそんな広告が氾濫するようになるとは
予想もしませんでした。いま思えば、不況のなせるわざ。でも、それだけ
じゃなかった。日本でも、各業界の統合再編がはじまり、流通のシステム
が変わり、価格競争が激化し、その状況下で広告も変わりました。
価格訴求や、いまならお得な的キャンペーンが販売促進に役立つことは
否定できません。とはいえ、どちらの業界もいまは、そんな最前線での消
耗戦に息を切らしています。皮肉なことに本来は「戦略」を意味した「キ
ャンペーン」という軍事用語が、ごくちいさい「戦術」、たとえば「お得
な」とか「オマケつき」の意味に矮小化していることも象徴的ではないで
しょうか。
深刻だと思われるのは、このような経済の状況が、企業のマーケティン
グを近視眼的にし、広告表現を矮小化してつづけていることです。私はこ
れを「広告表現のデフレーション」と警告してきました。経済のデフレが、
広告のもつ能力を矮小化しています。経済が企業を萎縮させ、マーケや宣
伝部を萎縮させ、広告表現を萎縮させるという悪循環。広告は戦略を失い、
近視眼的な販促効果ばかり求められ、表現がデフレ化し、市場は低級を競
います。いまこそ、この悪循環を断ち切る勇気が必要です。企業と宣伝部
と制作者はその勇気で、閉塞した空気を変えていきませんか。
だって夢も希望も感じない広告ばかりの国に、その経済に、どんな夢や
希望があるでしょうか。
青葉さん、そうですよね?