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一倉 宏

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2011/12/07 (水)
紅白とライナーノーツ

猪苗代湖ズが、ついに紅白出場決定しました。
斉藤和義は、残念ながら!

3年ほど前に、ある文章を書きました。
むかし、池澤夏樹さんが書いたジョン・レノン、アルバム「imagine」のための
ライナーノーツにたいへん感動したことがあって。いつかそんなことばを書いて
みたいと思っていたところ、たまたまに機会を得ました。
・・・こういう年の思い出に、引用しておきます。

  この日本で15年間、ただ、いい「うた」を歌いつづけた人間を、あなたは
 知っている。
 
  この国に優れたアーチスト、ミュージシャンはたくさんいるし、素敵なバ
 ンドはいくつもあり、ポップスもロックもヒップホップでも、あなたは聴き、
 好きになることができる。友だちや恋人とその話をし、口ずさんだりする。
 次から次へと。新しい服やお店や、出来事やニュースのように。それは幸福
 なことだ。この国は、豊かなポップカルチャーをもっている。

  斉藤和義は、いつもその集団から、すこし離れたところから聴こえた。私
 はそう思う。あなたはどうだろう。ポップでないというのでも、流行や話題
 にならないというのでもない。彼は熱い喚声を浴びてきているし、人気も評
 価も、尊敬も嫉妬も集めてきたのは間違いない。ただ、斉藤和義という存在
 は、斉藤和義であることから浮遊することがないだけだ。彼は、メディアが
 求めるなれなれしさや厚化粧にくらべて、ただちょっとだけシャイで、かな
 り決定的に真剣であるだけだ。何のために。ただ、斉藤和義であるために。
 自分の「うた」を歌うために。

  その「うた」は「歌」であり「曲」でもある。「詩」ということもできる
 し「メッセージ」ということもできるだろう。あるいは「パフォーマンス」
 であり「エンターテインメント」であるということも。そしてまた、ひとり
 の人間としての「心情」、その「表現」。その「うた」には、様々な概念が
 当てはまる。けれども私は、やっぱり彼の場合は「うた」という他はないん
 じゃないかと考える。私はときどき思う。はるか昔に、はじめて「うた」を
 発明した我らが先祖のことを。それは、人間の発明した、いちばん素晴らし
 いものなんじゃないかと思う。

  ほんのすこしだけ斉藤和義を知っているある女性は「あの、弾き語りのひ
 とね」と言う。そこでファンは嘆いたり、溜め息をこぼしたりしないでほし
 い。彼女は、それなりにいいところを突いた直感を述べているから。むしろ
 ファンは誇るべきだろう。私は、斉藤本人が「弾き語りで伝わるものが、ほ
 んとうの<うた>だと思う」と言うのを聞いて、いつのまにか弛緩していた
 自分の頭をぶん殴られた気がした。それは「戦争は人殺しだ」とか「好きだ
 からセックスしたい」というのと同じくらい、反論の余地のない真実だから。
 この裸の魂が、そもそもロックなんじゃなかったのか。それは音量や格好じ
 ゃない。この、ストレートな真実こそが。

  (中略)

  去年の夏。私は、仕事でも個人的にも親しいCM演出家の巨匠、中島信也
 を誘って東京湾のライブ会場に出かけた。音楽にも滅茶苦茶つよい中島信也
 が、紅盤の「ジェラス・ガイ」に衝撃を受けたとの告白を聞いて。その衝撃
 の意味は、信用してもいい。数々のCM名曲を自作した彼の音楽的センスは
 抜群だ。その彼が、ライブのはねた埋め立て地の風に吹かれて、ぽつり「負
 けた」とつぶやいた。中島監督は、いまでもそのときのことを「僕がロック
 をやめた日」と呼んでいる。もうひとり、風とロックの箭内道彦も、私の周
 囲で斉藤和義に目覚めたひとりだ。「NO MUSIC,NO LIFE」を生み出した彼
 は「和義さんは、たぶん、いま日本でいちばんギターがうまいんじゃないか」
 と言っていた。私もそう思う。ギターが「うた」になる、その感動を知って
 いる。

  (中略)

  斉藤和義と私とは、何の近似点もないのに、似たところがある。北関東の
 隣の県で育ったということ以外に、何かが。私は先頃、自分の詩集のような
 ものを世に出し、あらためてそのことをひそかに感じた。それはなぜかとい
 うことは、ここには書かない。私ひとりの自己満足でいいのだから。それは
 特別なことではなく、きっとこの、斉藤和義の15年の集大成を聴くあなたに
 も、同じような奇跡の感覚が湧きおこるだろう。これは「私のことだ」と。
 それこそが、ほんとうの「うた」だと私は思う。こころが表面でしか触れ合
 わず、ことばがこんなに薄っぺらい時代に、斉藤和義が「うた」にこだわり
 つづけてきた意味が、そこにある。

 カッコいいとは格好のことじゃない。あなたも私もその意味を知っている。