57回目の誕生日に
高校時代の女ともだちMさんから40年ぶりの手紙が届いた
その「字」を読めば思い出す
あのころはめちゃくちゃ手紙というものを書いていた
カノジョではなく ラブレターでもない
渋女(渋川女子高)の 美術部だったMさん
文芸部だったK子やYちゃんに
萩尾望都や大島弓子や樹村みのりを読めと薦められたり
どうも借りて読んだ「ポーの一族」の読書感想文を書いたらしく
それが彼女たちのあいだで回覧されたらしい
(すべての昔のことばは 甘酸っぱく恥ずかしい)
ガールフレンドでもなく デートでもない
ラブレターでもない手紙をなぜあんなに書いていたのだろう?
(でも それは変わらない
みんな いまでもメールを打ちつづけているし)
ひとはなぜ こんなにもことばを吐き出しながら生きるのだろう?
(それが ひと恋しいから だとしたら
すべてのことばは ほのかにラブレターに近い
すべての歌が どこかでラブソングであるように)
すべての恥ずかしい手紙や感想文はきっと残っていない
(残っていないほうがいい)
あのころ渋高(渋川高校)のタイプ印刷の雑誌に
たしか「資生堂のような日曜日」という恥ずかしいタイトルの
詩のようなものを書いて載せたことがある
(どこかにあるはずだけど思い出せない)
そしてほぼ40年後のきょう よく晴れた日曜日
渋女の近くの渋川市民会館で斉藤和義のツアーライブがあって
資生堂のCMから生まれた「ずっと好きだった」も歌うだろう
「この街を歩けば よみがえる16才」というあの歌を
時は ときどき こんないたずらもするんだね