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一倉 宏

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2012/04/22 (日)
詩のなぐさめ 〜池澤夏樹の新連載

  詩という部屋は敷居が高い。
  人がなかなか入っていかないのだ。
  友だちと最近読んだ本の話をしていても、詩集が話題になる
 ことはめったにない。たまに詩の話をできる相手がいたと思え
 ばそれは詩人だったりする。
  これはもったいないことだと思う。詩はこの憂き世を生きて
 ゆく上でずいぶん役に立つものだから。

こんな書き出しで池澤夏樹さんの「詩のなぐさめ」という新連載が
岩波書店「図書」4月号よりはじまりました。

  自分自身のことで言えば、震災の後でぼくに指針を与えたの
 は「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と
 いう古今集の和歌だった。華やかな桜はいらない。薄墨色に咲
 いてくれた方が今の気持ちにふさわしい。そうは言っても桜は
 派手に咲き、結局はその色になぐさめられた。
  ポーランドの女性の詩人、W・シンボルスカの詩「終わりと
 始まり Koniec i poczqtek」は事態の理解を助けてくれたー
  
  戦争が終わるたびに
  誰かが後片付けをしなければならない
  なんと言っても、ひとりでに物事が
  それなりに片づいてくれるわけではないのだから

  誰かが瓦礫を道端に
  押しやらなければならない
  死体をいっぱい積んだ
  荷車が通れるように
   ・・・・・・・         (沼野充義訳)

  東北の被災地をうろつきながら、この和歌と詩によって自分
 の心を律していた。この災害は初めてのことではないしこれが
 最後でもない。今回の災厄を普遍性の中へ解き放つことによっ
 て自分は独りではないと納得する。身内を失った時には歌集の
 中に無数の挽歌・哀傷歌がある。棺を乗せた車を挽く歌によっ
 てなぐさめを得る。
  そこにあるのはたぶん引用という原理だ。己の境遇を嘆く時
 に、遠い時代の、遠い土地の誰かの思いを自分の上に重ね、こ
 れは誰の身にも起こることだと知る。そのための遠隔通信装置
 として詩というものがある。遠隔救命装置かもしれない。

第1回のタイトルは「イェイツの詩と引用の原理」。
誰かの著作物の「引用」はしない原則でこのブログは書いています
が、今回は内容にちなみ(?)無断引用させていただきました。

  というわけで、岩波文庫の詩の本の中から勝手に花を摘んで
 自分の部屋に飾るという連載を始める。

「図書」誌が届くのがまた楽しみになる新連載です。