詩という部屋は敷居が高い。
人がなかなか入っていかないのだ。
友だちと最近読んだ本の話をしていても、詩集が話題になる
ことはめったにない。たまに詩の話をできる相手がいたと思え
ばそれは詩人だったりする。
これはもったいないことだと思う。詩はこの憂き世を生きて
ゆく上でずいぶん役に立つものだから。
こんな書き出しで池澤夏樹さんの「詩のなぐさめ」という新連載が
岩波書店「図書」4月号よりはじまりました。
自分自身のことで言えば、震災の後でぼくに指針を与えたの
は「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と
いう古今集の和歌だった。華やかな桜はいらない。薄墨色に咲
いてくれた方が今の気持ちにふさわしい。そうは言っても桜は
派手に咲き、結局はその色になぐさめられた。
ポーランドの女性の詩人、W・シンボルスカの詩「終わりと
始まり Koniec i poczqtek」は事態の理解を助けてくれたー
戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなければならない
なんと言っても、ひとりでに物事が
それなりに片づいてくれるわけではないのだから
誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように
・・・・・・・ (沼野充義訳)
東北の被災地をうろつきながら、この和歌と詩によって自分
の心を律していた。この災害は初めてのことではないしこれが
最後でもない。今回の災厄を普遍性の中へ解き放つことによっ
て自分は独りではないと納得する。身内を失った時には歌集の
中に無数の挽歌・哀傷歌がある。棺を乗せた車を挽く歌によっ
てなぐさめを得る。
そこにあるのはたぶん引用という原理だ。己の境遇を嘆く時
に、遠い時代の、遠い土地の誰かの思いを自分の上に重ね、こ
れは誰の身にも起こることだと知る。そのための遠隔通信装置
として詩というものがある。遠隔救命装置かもしれない。
第1回のタイトルは「イェイツの詩と引用の原理」。
誰かの著作物の「引用」はしない原則でこのブログは書いています
が、今回は内容にちなみ(?)無断引用させていただきました。
というわけで、岩波文庫の詩の本の中から勝手に花を摘んで
自分の部屋に飾るという連載を始める。
「図書」誌が届くのがまた楽しみになる新連載です。