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一倉 宏

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2012/06/30 (土)
開高さんと珠玉のことば

人生と歳月の遠近法において。
なんとも信じがたい不思議な感覚に陥る一瞬があります。
その最たるものは「あのときのあのひとは、
いまのじぶんより若かった」と気づくときではないか。
たとえば、あの日あの夕暮れ、あの部屋で、あの話をしてくれた、
あの開高健さんが、いまのじぶんより何才か若かったなんて。
・・・とても信じられない。

  いうまでもなく、世界的作家だった開高健さんには、名コピー
 ライターとしても活躍された経歴がありました。遠い存在の開高
 さんを私が少しでも身近に感じるのは、その経験を若き身過ぎ世
 過ぎ時代の逸話とされたりせず、おそらくそれなりに誇りにされ
 ていたのでは、と思うから。いまも声が聞こえるようです。「そ
 りゃそうや。私のトリスのコピーは、歴史的名作やで」と。
  開高さんと一対一でお話したのはたった一度きり、新聞広告の
 原稿に関してでした。ご本人が出演されたテレビの特別番組があ
 り、その番宣として、作家みずからのことばをコピーとして使用
 する企画でした。いま思えば、若さゆえの畏れ知らずなのですが、
 私はいただいた巨匠のことばを読み、ほんの一部を変えさせても
 らったほうがよいと思いつき、それを本人に直接持ちかけたので
 す。冷汗の思い出です。開高さんは生意気な私の申し出を聞くと、
 わずかに黙考し、それから「君のいうとおりにしてよろしい」と
 快諾されました。
  あるいは「君の」ではなく「青年の」だったかもしれません。
 そういう端々にも開高節の味がありました。それは夕陽の射す一
 室でのこと、巨匠はすでに、当時S社が輸入していていたワイン
 の中でも上から2番目に高級なシャトー物をお楽しみになってい
 て、ご機嫌もよかったのかもしれませんが、しばらく青年と語ら
 ってくださいました。もったいないことに多くは憶えていません。
  ひとつだけ、いまも記憶の金庫に残ること。
  それは、生意気な後輩への訓話だったか、励ましだったのか。
 文学作品では、光り輝くたった一行によって作品が成立し、価値
 の定まることがある。「たった一行や」と繰り返し、グラスを飲
 み干しました。「コピーも同じや」とまではおっしゃりませんで
 したが、ほぼそのように青年が受け取るのも計算しての、開高節
 だったと思うのです。 
  以下は、私の勝手な妄想です。新聞広告にはたくさんの読者が
 います。いい広告をつくれ。そのために、ことばを磨け。たった
 一行の恐ろしさと、そして奇跡のような輝きを知れ。私はそんな
 ふうに受け取り、それを記憶してきました。

  *「SPACE」No.378 巻頭エッセイ「Foreword」より抜粋。
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   毎日新聞社広告局 季刊「SPACE」