読書の愉しみのひとつに「再読」があります。 書棚の背表紙は、いつでも取り出せる「再体験」のインデックスです。 それは、かつて向きあった著者の著作との「再会」であるばかりでなく その時の自分との「再会」にもなりえるから不思議です。 時には、こんなことも書いてあったのか、読み落としていた、と気づく 「再発見」もありますが。それよりも、きっと同じページ、同じ文章で 立ち止まる、そんな瞬間がある。たとえ、何十年前ぶりの「再会」でも。 1976年刊行の岩波講座『文学3〜言語』から。谷川俊太郎さんの 「言語から文章へ」の稿、こんなページが「角折り」してありました。 もしも私たちが何ひとつ文章を創造せず、決まり文句や引用 ばかりで話し合うようになったらどうだろう。私たちはしまい にはきっと、自分と他人の区別のつかぬ均一な集団になってし まう。そういう危険はいわゆる全体主義的な社会にだけあるの ではなく、マスコミュニケーションの発達した民主主義社会に もひそんでいる。権力の強制のみが私たちのことばを画一化す るのではない。私たち自身の中に画一化への欲望がある。 40年も昔、学生時代に刊行された講座です。インターネットなんて、 想像さえしていなかった。詩人のこの予知と警告に震撼するとともに、 その時、ここで立ち止まり、角を折った自分と「再会」したのでした。 おそらく、いまの時代と私自身へのブックマークとして。