もうずいぶん以前のブログにも書いたことがあるのですが。 こういう年なので、もういちど思い出してみます。 戦争のさなかに女学生だった母のつくっていた短歌です。 マーシャルの悲報を知りし今朝なれば 皆黙々と麦を踏みにき
思い出多きテニスコートを耕して 芋うえる為われも鍬もつ
佐々木那や夏目漱石読みくれし 若き師の君召され征きたり 女学校の授業はすでになく、女子挺身隊と呼ばれ軍用機をつくる 工場で勤労奉仕していたこと。そのような話を聞いたのも、 こどもの頃の記憶。その時の母は、いまの私よりずいぶん若い。 そしてそれは、まだ戦後20数年という時代だったこと。
親の体験談であるし、こどもの頃に聞いた話でもあるので、 「おとなたちの戦争の話」という記憶の書架にそれはあって。 思えば、しかし、とんでもないことに気づくのです。 自分の想像力の愚鈍さが、滑稽なほど、今頃になってわかる。 この歌をつくったのは、10代の少女だったこと。 徴兵された国語科の教師だって、おそらく20代の若者だった。 これは「若者たちの戦争の話」じゃないか。 「若者たち」こそ、最前列の当事者になるのが「戦争」だった。 70年間、その当事者をつくらなかったのは、 なんとも偉大なことではないかと、あらためて気づくのです。