近年、大学生たちと接する機会が増えて、それを楽しみにしています。 自分のこどもよりも若い世代、最初はずいぶん距離も感じたけれど、 だんだん接し方にも慣れてくると、その声がよく届くようにもなってきて。 いつか、あるセミナーでのこと。 それは、学内の活動グループを顕彰するセレモニーでもあったのですが。 代表の女子学生が「いま、同調圧力が重苦しい。無言の締め付けを感じる」 という発言を、率直に堂々としていたのに感心し、励ましもしました。 また、ある男子学生の「僕らは、生まれたときからマイノリティでしたから」 という自嘲的な、けれど屈託なく笑う話しぶりも印象に残ったものです。 そのときは、ちょっと大袈裟で被害意識もあるのかな、と感じつつ。 相対的には恵まれた環境にいるはず、だから、ちょっと甘いのかな。 それが社会というもので、それに負けたらなにもできないよ。 けれど、彼らの、その感覚、その疎外感こそじつは正しく、 いまの社会の病弊を的確に指弾したことばであることに、 いまごろになって、気づいたのでした。おじさんは。 「もっと、言いたいことを言っていいんだ」 ことばでする仕事についても、そう言ってきた自分なのに。 「言いにくい」社会をつくってしまったのは、この自分たちだった、と いま、反省しているおとなたちは多いと思う。