第一歌集『つむじ風、ここにあります』、著者より寄贈いただきました。
ありがとう。
穂村弘、枡野浩一、新しい短歌の流れには触発されてきました。
詩にひかれ、万葉集を学び、けれど「歌のわかれ」をした私ですが。
穂村さん、枡野さんとは、現代口語の詩とコピーについて対談したり、
志向の近い、その意味で「同志」のようにも感じてきました。
そして、さらに若いこの木下さんにも。
木下さんのこの歌集については、とてもとても感想があります。
それはあらためてとして。たとえば、この一首。
鮭の死を米で包んでまたさらに海苔で包んだあれが食べたい
ああ、いいなあ、この軽み。そして、この「死」の重み。
一方で、コンビニのおにぎりが食べたくなる、リアリティも。
触発されて、きょうは「歌のリズム」が脳内に鳴っていました。
そんなことも、30数年ぶりです。その記念に。
銭湯に「いくぜ東北」温泉はおあずけにして梅雨の土曜日
雨降れば客もまばらな杉並の露天風呂つき銭湯の月
身長を170とはもう言えず縮みゆく日々「さらば青春」
銭湯につれていってといいながらゆくえも知れぬ水無月の君
メール打つ液晶画面に雨かかるちいさな粒の虹の SHARPよ
残虐なほどに仕事を愛してる佐々木宏の長いメールは
銭湯の帰りはいつもスエヒロでドラ〜イを飲む裏切るごとく
杉並の都議選前の十三夜 脱原発はどこに消えたか?
大丈夫 大好きだからこの国も君もどんなにクソッタレでも
真夏には裂いて殺して蒸してなお火あぶりにしたあれでごはんを
(龍也歌からの本歌取り)