闇の中に立つ虹
I
希望
ああ
なんて場違いなところで
あわただしく出逢ってしまったのだろう
膝を抱え込むようにして
呼んでみる
傾(かし)いだみすぼらしい学習机の上にある
変声期前のしなやかな叫びを
II
中部 洋
それならば 愛よ
小さな駅の改札口を隔てて
君は佇(たたず)み ぼくは振り返った
あのやわらかな陽射しを
ぼくは
誰に詫びたらいいのか
足立澄子
幼稚園に入って
初めて遠足に行く前の日の晩の
ささやかな心の準備
布団に潜って
遠足へ行く<お話(ストーリー)>を作りながら
その主人公が自分なんだと
どうしても思えなくて
泣いて 眠れなかった夜
中部 洋
入り江をめぐって走る電車
心の喪った分だけ重くなった身体は
苛立ち震える青い車体の
恥ずかしい一つの記憶のようだった
忘れることを恐れない人間になろう
鳥のように
足立澄子
日記から漏れ落ちた日々が
部屋の片隅に蹲(うずくま)り震えている
中部 洋
忘れられることを恐れない人間になろう
風のように
風
見られることの不安のために
木立ちを縫って逃げた
触れられることの不安のために
振りかざす少女の掌(て)から逃げた
上坂燎一
模型飛行機が堤を越えた
幼い弟は河に墜ちて死んだ
×月△日
父の小言に背中を舐(な)めまわされながら
蛇行する怒りと叫びのさなかへ行くとき
サッカーの試合と同じつもりで
「がんばってね」
といった弟よ
季節のために感傷を禁じていた兄も
涙を流した
上坂鋭二
おちてゆくさきが
そら でないのが ふしぎでした
<おちる>ということばのいみが
よくわからなくなりました
足立澄子
若樹にして朽ちた並木のような肋骨が
私の胸の中に折り畳まれている
淋しい日暮れ道のようだ と
あの人の指が辿(たど)った
見えぬもの
触れえぬものの美のために
私は いつまでも醜かった
(中略)
駅の新聞売りの老女
おはよう
貧しい日常たち––––
III
希望
失意や畏怖や屈辱を抱擁する
せめて私が私自身であるために
そのとき 私は
屋根に登った被災民たちの中の
父親の姿に一番似ていた
力一杯の抱擁のために
沢山の皺(しわ)が私の身体じゅうにできて
私は
細やかな緑色の葉陰になり
ある時は
少女の手の甲のひび割れになり
そのまま
なすすべもなく見つめられている
(中略)
足立澄子の日記
不意に出逢った人こそ ほんとうはいとおしい
のだから <希望>とは 煙草屋の角で
息を殺している刺客のようなものだと思っていた
けれど 書店の前で右翼のトミタさんに
<誰を待っているの?>と声をかけられたとき
交差点を駆け抜けながら <私はもう変わっても
いい>と思った <澄子は頑張った 十七年間
よく頑張った>と 少し年老いた私の声が聞こえて
泣けた
(そのとき 私はすでに やわらかくて毛深い
摂氏三十六・七度の女子高生だった)
ボブ・ディランはペテン師だといって 喫茶店の
席を立った 母の愛人の名を知った 予備校の
屋上で 稚拙な愛撫に身を任せた日の夜 風呂場で
長い髪の毛が 幾本も幾本も抜けて
気が狂ったように笑った
そうして四年が過ぎた
足立 渡
おねえちゃん
ジミヘンが最後のレコードで
<ナイト・バード・フライング>って曲
歌ってる
<闇を飛ぶ鳥>ってとこかな
ほら
コーヒー
足立澄子
闇を飛ぶ鳥 闇を泳ぐ魚・・・
IV
(中略)
兵士
たったそれだけのことで
ほんとうに ぼくらは救われるのか
だとしたら
何のために ぼくらは
毎朝毎朝の悲しい夢を憶えていよう
などと
つらい努力をしてきたのか
V
中部 洋
訪ねてゆくと いつも不在だったが
何度でも 出直して来ることができたから
時がする 歯ぎしりの音を
追い抜いてゆく者たちの挨拶と聞いた
背後の闇にも
虹は立つと信じられた頃––––
上坂燎一
しっ
もがくな 罠だ!
できるだけしなやかにくぐりぬけろ!
そういって ぼくたちは別れた
足立澄子
「プレゼントなんていらない
九本のろうそくに
もういちど火をつけてみせてもいい
だから
おねがい みんな帰らないで」
上坂燎一
弟の時間割を
いまでも暗記している
*同人誌「黙契」第3号(1976)より。
思えば、これが最後に書いた「詩」となりました。
この後、尊敬してやまない伊藤博先生のもとで万葉集を学び、
上代歌謡と言霊についての卒論を(かなり真剣に)書きました。
すでにコピーライターとしての就職が決まっていた私にとって、
「歌の別れ」の覚悟だったと思います。