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一倉 宏

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2013/08/15 (木)
そして 20才のときに書いた詩

  
   闇の中に立つ虹

 I

 希望
  ああ
  なんて場違いなところで
  あわただしく出逢ってしまったのだろう
  膝を抱え込むようにして
  呼んでみる 
  傾(かし)いだみすぼらしい学習机の上にある
  変声期前のしなやかな叫びを

 II

 中部 洋
  それならば 愛よ
  小さな駅の改札口を隔てて
  君は佇(たたず)み ぼくは振り返った
  あのやわらかな陽射しを
  ぼくは
  誰に詫びたらいいのか

 足立澄子
  幼稚園に入って
  初めて遠足に行く前の日の晩の
  ささやかな心の準備
  布団に潜って
  遠足へ行く<お話(ストーリー)>を作りながら
  その主人公が自分なんだと
  どうしても思えなくて
  泣いて 眠れなかった夜

 中部 洋
  入り江をめぐって走る電車
  心の喪った分だけ重くなった身体は
  苛立ち震える青い車体の
  恥ずかしい一つの記憶のようだった
  忘れることを恐れない人間になろう
  鳥のように

 足立澄子
  日記から漏れ落ちた日々が
  部屋の片隅に蹲(うずくま)り震えている

 中部 洋
  忘れられることを恐れない人間になろう
  風のように
 
 風
  見られることの不安のために
  木立ちを縫って逃げた
  触れられることの不安のために
  振りかざす少女の掌(て)から逃げた

 上坂燎一
  模型飛行機が堤を越えた
  幼い弟は河に墜ちて死んだ
  ×月△日
  父の小言に背中を舐(な)めまわされながら
  蛇行する怒りと叫びのさなかへ行くとき
  サッカーの試合と同じつもりで
  「がんばってね」
  といった弟よ
  季節のために感傷を禁じていた兄も
  涙を流した

 上坂鋭二
  おちてゆくさきが
  そら でないのが ふしぎでした
  <おちる>ということばのいみが
  よくわからなくなりました

 足立澄子
  若樹にして朽ちた並木のような肋骨が
  私の胸の中に折り畳まれている
  淋しい日暮れ道のようだ と
  あの人の指が辿(たど)った
  見えぬもの
  触れえぬものの美のために
  私は いつまでも醜かった

 (中略)

 駅の新聞売りの老女
  おはよう
  貧しい日常たち––––

 III

 希望
  失意や畏怖や屈辱を抱擁する
  せめて私が私自身であるために
  そのとき 私は
  屋根に登った被災民たちの中の
  父親の姿に一番似ていた
  力一杯の抱擁のために
  沢山の皺(しわ)が私の身体じゅうにできて
  私は
  細やかな緑色の葉陰になり
  ある時は
  少女の手の甲のひび割れになり
  そのまま
  なすすべもなく見つめられている

 (中略)

 足立澄子の日記
  不意に出逢った人こそ ほんとうはいとおしい
  のだから <希望>とは 煙草屋の角で 
  息を殺している刺客のようなものだと思っていた
  けれど 書店の前で右翼のトミタさんに
  <誰を待っているの?>と声をかけられたとき
  交差点を駆け抜けながら <私はもう変わっても
  いい>と思った <澄子は頑張った 十七年間
  よく頑張った>と 少し年老いた私の声が聞こえて
  泣けた
  (そのとき 私はすでに やわらかくて毛深い
   摂氏三十六・七度の女子高生だった)
  ボブ・ディランはペテン師だといって 喫茶店の
  席を立った 母の愛人の名を知った 予備校の
  屋上で 稚拙な愛撫に身を任せた日の夜 風呂場で
  長い髪の毛が 幾本も幾本も抜けて
  気が狂ったように笑った
  そうして四年が過ぎた

 足立 渡
  おねえちゃん
  ジミヘンが最後のレコードで
  <ナイト・バード・フライング>って曲
  歌ってる
  <闇を飛ぶ鳥>ってとこかな
  ほら
  コーヒー

 足立澄子
  闇を飛ぶ鳥 闇を泳ぐ魚・・・

 IV

 (中略)

 兵士
  たったそれだけのことで
  ほんとうに ぼくらは救われるのか 
  だとしたら
  何のために ぼくらは
  毎朝毎朝の悲しい夢を憶えていよう
  などと
  つらい努力をしてきたのか

 V

 中部 洋
  訪ねてゆくと いつも不在だったが
  何度でも 出直して来ることができたから
  時がする 歯ぎしりの音を
  追い抜いてゆく者たちの挨拶と聞いた
  背後の闇にも
  虹は立つと信じられた頃––––

 上坂燎一
  しっ
  もがくな 罠だ!
  できるだけしなやかにくぐりぬけろ!
  そういって ぼくたちは別れた

 足立澄子
  「プレゼントなんていらない
   九本のろうそくに
   もういちど火をつけてみせてもいい
   だから
   おねがい みんな帰らないで」

 上坂燎一
  弟の時間割を
  いまでも暗記している

*同人誌「黙契」第3号(1976)より。
 思えば、これが最後に書いた「詩」となりました。
 この後、尊敬してやまない伊藤博先生のもとで万葉集を学び、
 上代歌謡と言霊についての卒論を(かなり真剣に)書きました。
 すでにコピーライターとしての就職が決まっていた私にとって、
 「歌の別れ」の覚悟だったと思います。