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一倉 宏

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2011/12/03 (土)
万葉の孤悲( 2008 オリジナル )

 いまは もう
 オープンカフェで待ち合わせするには
 肌寒い季節だろう

 あなたと僕が はじめて待ち合わせをしたのは
 5年前の ちょうどいまごろ
 神宮前の あの店で

 はじめてだから わかりやすいように
 外側の なるべく奥のテーブルと 約束して

 だから 20分も遅刻してしまった 僕も
 すぐにあなたを 見つけることができたのだけれど

 いまでも 憶えている
 そのとき カーディガンを 肩にかけ
 本を読んでいた あなたの横顔を

 こんな場面で
 若い女性が開いている本は 先入観でいうなら
 村上春樹やニューヨーカー短編集などがふさわしい

 けれど あなたがしおりを挿んだ その本は
 夏目漱石の 『草枕』だった

 さらに 僕を驚かせたのは
 遅れた失礼を わびると 
 さらりと微笑んで あなたが こう答えたこと

 「いいんです
  私、こういう時間が好きだから」

 男は誰だって 自惚れで肥大して 幻想を甘やかす
 だから あなたは無防備すぎた というつもりはない
 あなたが 好きだといったのは
 相手が誰であれ 待ち時間に本を読むこと
 その ひとりの時間

 いまでも 青山通りから 新宿方面に抜けるとき
 あの店の前を通る

 (僕はこのごろ 
  アルファベットやカタカナの名前の店には
  めったに 足が向かわなくなった
  もっぱら 漢字かひらがなの名前の店で過ごす)

 あなたの名誉のためにいえば 
 漢字の多い やや昔の小説を読むこと以外は
 あなたは若い女性として 特に変わってはいなかった

 あのカフェで コーヒーにケーキをつけておかわりし
 そして よく笑った

 なにが幻想で なにが幻想ではなかったのか 
 ほんとうは いまでもよくわからない

 元気でやっていますか
 僕らは 僕らのあいだにあった なにかを
 なかなか飛び越えられなかったね

 このあいだ 昔の日本語について調べていたら
 万葉集では 「恋」を 「孤悲(こひ)」
 孤独の「孤」に 悲しむの「悲」で 「孤悲(こひ)」
 と書いていたことを はじめて知った
 ひとり 悲しむ の 孤悲か
 恋とは結局 ひとりの時間 のことなのか

 いまも カップを片手に ひとり静かに悲しんでいる
 それが 「孤悲」の時間なら 僕もまた 
 この時間が どうしようもなく 好きかもしれない

 *TFMの、いまはなき朗読番組 ” Tokyo Copywriters’ Street “
  (現在は、上記のサイトよりネット放送)
  の初回に自演した作品。その、オリジナル原稿。
  お題は「コーヒー」で。・・・かなり、無理矢理です。