5月10日の毎日新聞夕刊、川崎浩さんの「大衆音楽月評」から。
「復興支援 “その後” をどうする」と題して。
本来は「個人の情熱や理想や夢から生まれる」はずの音楽が
商業化したことによって、さらに昨今の危機的状況下にあっては
(ただ) 不安を感じるのは、歌舞音曲の封殺と、その裏返しで、
「絆」「つながる」「元気」「頑張る」だけで詞ができあがって
いるような被災地応援ソングのみ、音楽として認識されるのでは
ないか、というあたりである。
まことに耳が痛い、けれど、至極まっとうな批評です。
震災の直後に、最も敬愛する音楽家のひとり、井上鑑さんが
「(こんなときは特に)音楽は、きれいごとになりがちだから」と
言われるのを聞いて、ドキリとしたことを思い出します。
ましてや、広告なんて「きれいごと」のかたまり、みたいなもの
かもしれない。
それなら、せめて、すこしはましな「きれいごと」を言おう。
まったく役に立たない、ばかりか、そのこと自体が隠れミノになる
ような盲目的に偽善的な「きれいごと」でなく、という・・・
これまた「きれいごと」を考える広告屋でありました。
きれいごとを言うな。理想論を言うな。
いつから、この国の男は、美と理想を
語れなくなったのか?
資生堂 アウスレーゼ
こんな「きれいごと」コピーを書いたこともあったなあ。