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一倉 宏

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2010/08/16 (月)
65年めの終戦記念日に

 ママのつくったヒコーキに乗って
     〜 あるいは 「もう誰も戦争にいくな 」〜
                

 ハッカの匂いのするような青い空に ヒコーキが飛んでゆく
 僕は好きだったな 僕は見つけるのが得意だった 
 空に浮かぶちいさなプロペラ機 
 プラスチックのボールで野球をしながら あるいは 
 夏休みのプールの帰りに
 僕は「あ ヒコーキだ」と空を指さす 僕はこのごろふと思い出す
 僕が どんなに好きだったかということを たとえば 
 真昼の星のように輝くヒコーキを

 (中略)

 ポニーテールの揺れるロックンロール 
 銃口に花を挿したフォークソング
 僕は好きだったよ 僕はあのころの曲ならギターで弾けた 
 シンプルなコードのくりかえし
 世界はとても簡単なモラルを見失っていて 
 とても軽薄なルールで破滅に向かう あれから
 僕はなんども7時のニュースを悲しむ 
 僕はあのころの歌をふと口ずさむ
 僕が どんなに好きだったかという歌を たとえば 
 たったひとりの少女とこの世界を 

 けれど オープンコードしか弾けないギターでは
 やがて行き詰まる  すべてはかくのごとしだ
 僕は知ることになる 僕は失恋と失意をくりかえす 
 世界はブルースを歌いはじめる
 そんなときもママの教えが聞こえてきた 
 失恋も失意も他人のせいにしてはいけない
 僕は墨色を流す夕空だって好きだ 
 僕はなんとかして思い出そうとする
 僕が どんなに好きだったかということを たとえば 
 夏空に飛ぶあのプロペラ機を

 好きなものなら数えきれずあるだろう 
 世界は捨てたもんじゃないだろう
 僕は好きだったよ 16才の春休みに図書館で出会った
 ライ麦畑のホールデン その妹のフィビー
 「お兄ちゃんの好きなものを言ってみて」と詰問する 
 フィビーはすべての少年の幼いママだ
 僕は戦争から帰ってきた男たちの話を聞きたい 
 僕はいまでもふと思い出す
 僕が どんなに好きだったかということを たとえば 
 川沿いの図書館のあの匂いを

 はじめて行ったアメリカはロナルド・レーガンの時代 
 ロサンジェルスの渇いた青い空
 僕は好きだったよ 大統領の大袈裟なスピーチはともかく 
 ひとはみんな親切だったし 
 第一印象は平べったい国 大きな空 大味なスープとサラダ 
 境界も結び目もなくつづく日常
 僕は空港のロビーとすべてのヒコーキが好きだ 
 僕はなぜだかふと思い出す
 僕が どんなに好きだったかということを たとえば 
 1945年のアメリカの戦闘機でさえ

 1945年に僕のママはおさげの少女だった 
 学校の授業はもうなかった
 テニスコートは芋畑になり 
 ママはテニスボールのかわりに戦闘機の翼のリベットを打った
 こんなスクールガールがつくるヒコーキに乗る
 若者のゆくえを案じて ひそかに泣いた
 奇跡的に撃墜されたアメリカの爆撃機の兵士だって 
 みんなティーンエイジャーだった
 もう 誰も戦争にはいかせたくないと たとえば 
 僕のママはくりかえし言った
 
 (後略)

               『ことばになりたい』より