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一倉 宏

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2010/04/16 (金)
あれは・・・1Q7Q

作家としてデビューしたての頃の
村上春樹さんにお会いしたことがあります。
千駄ヶ谷に、お店「ピーターキャット」があった頃。
『風の歌を聴け』に感動して、仕事がらみのインタビューにかこつけて。
でも、私は・・・インタビュアーとしての才能がゼロだということに
そのときはじめて気づかされました。
まったくもってしどろもどろで、春樹さん、あきれてました。
その原稿(PR誌用)は、かたちになってません。
私の、仕事上「3大恥ずかしい事件」のひとつです。

 僕らはきょうも、
 「漢字仮名混じり文」の茂みに囲まれて生きている。
 それは、中国文明が生んだ漢字とそれを略した仮名を用いる、
 近代日本語の標準的な表記だ。
 いちばんシンプルな日本語なら、
 表音文字の仮名だけで書くこともできる。 
 たとえば、「そらがあおくて、こころもはれる」。
 大人にもこどもにも、その文の意味は届く。
 いちばんシンプルな生活や気持ちのことばなら、
 シンプルな日本語の原型でいえる。
 けれど、新聞や雑誌も、憲法の条文も、
 宅配ピザのチラシも、TVの取り扱い説明書も、 
 漢字仮名混じり文でなければ成り立たない。
 そして「ピザ」や「TV」のような欧米語も混じる。

 マイケル・ワートくんは、天ぷらが大好きで、
 日本近世史を研究するアメリカ人だ。
 「日本語はややこしいことばだろうか?」と聞いたら、
 「ちょっとだけ」と答えた。
 漢字仮名混じりの日本語は、たしかにすこし変わってるけど、
 べつに神秘でも謎の言語でもない。
 源氏物語と村上春樹は世界中で訳され、
 僕らは、ホメロスもシェークスピアも日本語で読める。
 日本人が変わってるのは、きっと、
 自分たちがものすごく変わってると思いがちなところだ。
 いまはもう、ローマもヘルシンキも、北京も東京も、
 街のすがたはそんなに変わらない。
 舗道がありカフェがあり、
 ジーンズとミニスカートが歩き、携帯電話で話す。
 世界は、大きなスプーンでゆっくりとかきまわされている、 
 サラダボールみたいだ。

    「漢字仮名混じり文と村上春樹の思い出」( hinism vol.7 )より