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坂本 和加

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2010/11/12 (金)
自分なくし

そのおじさんは、かれこれ40年ちかく、
「自分なくし」を続けているという。
よく晴れたある朝、おじさんが台所でパスタを茹でているときに、
「自分探しなんてバカげたことはやめた」と思い立った日からずっと。

おじさんは、その「自分なくし」をはじめる前は、
まあ、ひとなみに「自分を探して」いたんだ。
けれど、おじさんの出した結論は、
「自分」なんて「どこにだっている」し
「どこにだっていないのさ」ということだった。
そのときおじさんは、21才3ヶ月だったそうだ。
たぶん、思春期を過ぎた頃から、うすうす気づいていたのかもしれない。
そんなたいくつを探してどうするのさ、ということを。

だからおじさんは、「自分なくし」をすることに決めた。
そっちの方が、これから始まる人生を費やすには、
じゅうぶん価値がありそうだ、と思ったから。
おじさんが手始めに試みた自分なくしは、好ききらいで、
ほかには、目立たないように努力をしたり、
それこそ毎日が「自分なくし」のための日々だったそうだ。
(名前は生きていくのに便宜上必要だから捨ててない。)

自分をなくしてみたら、いいことのほうが増えたよ。
真のいいひとにも、なれた気がしている。
それから、自分なくしは、思うほど「せつない」もんじゃない。

でもなかなか、なくならないもんだね。

おじさんはさいごに、ぽつりとそう言った。