あの直後から
なんどもなんどもつながらない電話をかけ続けて
亡くなられたひとの名がテレビで流れるたびに
そこに名前がなかったことに胸をなで下ろし、
ダイジョウブ、ダイジョウブと自分で自分を励ますけれど、
やはりちいさな覚悟をすべきかもしれないと
ときどき泣きそうになりながら、ほうけたような
長い長い数日間を過ごしていたわたしは。
なにかをせずにはいられないと、
ただちに集まり、手を動かしていたひとたちを
うらやましくも否定的に思っていたのはほんとうだ。
それから、運良く家族の無事がわかって
それどころじゃなく なくなった、ようやくのいまごろに、
それが正しいとか間違っている すごいとかすごくない とかじゃなく、
「そういうなにかの動き」が、あのとき必要だったんだとわかった。
ような気がする。
そのくらいたいへんなことが起きたから、
まず、まだだれかを励ませるひとが、
だいじょうぶでなければならなかった。
その「だいじょうぶ」は、
このちいさな島国だけの、
汎用性もなく不便でわかりやすいとはいえない
この世界でたったひとつの言葉を
同じように話せる仲間からでないと
きっとダメだったように思うから。ありがとう。