祖母は、しみの多いひとだった。
ちいさいころ、まだわたしに「しみ」がひとつもなくて、
それが女性にとって忌むべきものであるということさえ
よくわかっていなかったころ、
わたしは祖母に、しみのことを聞いたことがあった。
しみは、哀しみ。
それから祖母は、
こめかみにある、ひときわ大きなしみを指して、
これは、おじいちゃんが死んだときにできた、
いちばん深い哀しみだと言った。
そのあとで、しみは、消せない。哀しみと同じように、
隠せるものでもないし、もう隠したりもしてない。
というようなことを言ったように思う。
わたしは、祖母のしみが、祖母のからだの一部で
しみのない祖母は、祖母ではないということも
すんなり理解できて、なるほどと妙に納得したのだった。
けれど一方で、自分の祖母が、ひとよりも
たくさんの哀しみでできているようで、
それこそ悲しい気持ちがしたのだった。
たしかに苦労は多かったけれど。
わたしはいまとてもしあわせなのだから。
そういって、笑った祖母が、ほんとうにしあわせそうだったのが
いまではすこし、わかるようになった気がする。