Tokyo Copywriters' Street、年頭の大役を、自作自演で。 どう頑張っても「シンガーソングライター」にはなれないんだなあ。 周囲からも諭され、自覚したのが、50代を過ぎてから。 せめて、朗読ならできると、機会あればマイクの前に立ってきた。 その評判は、わるくなかったと思う。 ・・・すくなくとも「シンガー」のときのようには。 TCSの番組でもライブでも。町田町子の誘いで応じたDJナイトでも。 しごとの、CMで仮編集の仮ナレーションを買って出ることもある。 名だたる演出家たちが「いいですねえ、このまま使える!」といってくれる。 ひそかに「ナレーターソングライター」の旗揚げを狙っている。 さて、今回の自作自演の出来映えは? 中山佐知子さんが率直に、冷静に紹介してくれています。 http://www.01-radio.com/tcs/archives/28001 なるほど! 演技、してしまったか! 打ち上げのすき焼き宴会では、名優西尾まりや清水理沙ちゃんに向かって 「いいナレーションってさ、演技ではなく、テキストに内在する感情を 表現するものだと思うんだよね〜」みたいなことまで言ったのに。 お恥ずかしい。・・・いわゆる、すけべごころが滑りでたかも。 いまとなれば、原稿そのものも、やや低めに狙いすぎたかも。 反省しつつ、これを糧としつつ。 コピーはもちろん、作詞・詩作も。そしてナレーションも諦めず。 2016年も、愛してやまない「ことば」のあれこれに打ち込みます。 なお、興味のある方がいらっしゃれば・・・過去の朗読作品は 同サイト内「ナレーターで探す」により、お聴きいただけますので。
先生にとって
詩を書くことと
文章を書くことと
コピーを書くことの
決定的な違いというのは
何でしょうか。
そんなことも自覚せずに。。
と、自分でもタビタビ思いながら
そこがどうしてもうまくできなくて
モヤモヤが消えません。
生田さんへ。
私にとって、決定的な違いはありません。
ただ、その都度「相手が違う」ということでしょうか。
広告の場合は、それを「ターゲット」と呼んだりしますが。
作詞も寄稿文なども、相手に届けと思うばかりです。
すべて、相手のいるコミュニケーションと考えます。
「届く回路を見つける」
それが「ことばの表現」だと思います。
>> 一倉
どうもありがとうございます。
届く回路を見つけることが表現。
向き合い方に
少し勘違いをしているところがありました。
ありがとうございます。
生田