穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(うさぎ連れ)』。 「手紙魔」という言葉は、まだどこかに生きているかなあ。絶滅危惧種。 1970年代のティーンエイジャーは「文通」なんてしてた。 便箋にペンで字を書いて、封筒に入れて切手を貼って、ポストに投函。 返信が来るのは、数日後とか、数週間後とか。 そんな時代のともだちから、何十年ぶりの手紙が届く。 それはメールじゃなくて、やっぱり手紙で。 憶えている。はっきりと。 その「文字」はそのまま、懐かしい人柄のまま、憶えている。 便箋の文字のならびには、まるで息づかいのように、そのひとがいる。 そのことにも驚く。「紙の文字」は、どれだけのことを伝え、 記憶にとどまる「情報量」を持っていたのか、と。 TCC、コピー年鑑の審査で、グラフィックの作品をどう扱うか。 データによるWEB審査でよしとするか、否か。意見は分かれている。 いつのまにか、そんな時代になっている。
一倉さん
こんばんは。
手紙って、嬉しいものですよね。
先日見た夢は「暑中見舞いのはがきが届く」というものでした。
でもそれは透明の袋にがさっと入っていて、
なんでだろうとよくよく見ると、
「差出人すべてが、宅急便会社のメール便を利用していた」
ということの結果でした。
同一の宛先は、ひとつにまとめられ、届けられたのですね。
もう、手紙には切手を貼らない世の中になってしまったのかと、
さみしい気持ちになって目が覚めました。
わたしは季節に合った、文章に合った切手を選んで、貼って、
手紙を出すことが好きです。
そのほうが、楽しいですよね!
突然のコメント、失礼いたしました。
ちょうど手紙のことを考えていたものですから…
それでは。
林 香菜子
紙に書く。
・・・書き損じて、書き直す。
切手を貼って
投函する。
そういう「ややこしさ」のすべてが
コミュニケーションだった気がします。
そのほうが
「情報量」=伝わること
多いですよね。