blog ブログ

一倉 宏

Back Number
2015/07/13 (月)
紙に書いたてがみ
穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(うさぎ連れ)』。
「手紙魔」という言葉は、まだどこかに生きているかなあ。絶滅危惧種。

1970年代のティーンエイジャーは「文通」なんてしてた。
便箋にペンで字を書いて、封筒に入れて切手を貼って、ポストに投函。
返信が来るのは、数日後とか、数週間後とか。

そんな時代のともだちから、何十年ぶりの手紙が届く。
それはメールじゃなくて、やっぱり手紙で。

憶えている。はっきりと。
その「文字」はそのまま、懐かしい人柄のまま、憶えている。
便箋の文字のならびには、まるで息づかいのように、そのひとがいる。
そのことにも驚く。「紙の文字」は、どれだけのことを伝え、
記憶にとどまる「情報量」を持っていたのか、と。

TCC、コピー年鑑の審査で、グラフィックの作品をどう扱うか。
データによるWEB審査でよしとするか、否か。意見は分かれている。
いつのまにか、そんな時代になっている。





  1. 林 香菜子 より:

    一倉さん

    こんばんは。

    手紙って、嬉しいものですよね。

    先日見た夢は「暑中見舞いのはがきが届く」というものでした。
    でもそれは透明の袋にがさっと入っていて、
    なんでだろうとよくよく見ると、
    「差出人すべてが、宅急便会社のメール便を利用していた」
    ということの結果でした。
    同一の宛先は、ひとつにまとめられ、届けられたのですね。

    もう、手紙には切手を貼らない世の中になってしまったのかと、
    さみしい気持ちになって目が覚めました。

    わたしは季節に合った、文章に合った切手を選んで、貼って、
    手紙を出すことが好きです。

    そのほうが、楽しいですよね!

    突然のコメント、失礼いたしました。
    ちょうど手紙のことを考えていたものですから…

    それでは。

    林 香菜子

  2. ichikura より:

    紙に書く。
    ・・・書き損じて、書き直す。

    切手を貼って
    投函する。

    そういう「ややこしさ」のすべてが
    コミュニケーションだった気がします。

    そのほうが
    「情報量」=伝わること
    多いですよね。