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一倉 宏

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2013/03/01 (金)
赤坂氷川と勝海舟

赤坂6丁目、事務所のあるあたりは比較的静かな街でしたが、
ここのところ大型マンションの建設がつづき騒々しくなっています。

かつての名は氷川坂下、赤坂氷川町。「氷川清話」の勝海舟邸跡があり、
「坂本龍馬が勝海舟に会いにきた道」と地元のマップは記しています。

龍馬は勝を切るつもりでしたが、逆に弟子入りすることになったという。
それほどの大人物だったのでしょうし、いまや国民的ヒーローの龍馬が、
(この地で)テロリストにならなくてほんとうによかった、と思ったり。
ひとつ間違えば、龍馬が勝を斬殺した「氷川事件」跡地だったのだから。

歴史に「もしも」が、あるとしたら・・・
江戸開城は、明治維新は、その後の日本はどうなっていたのか。

なのに、勝は龍馬を
「俺を殺しに来た奴だが・・・よい男だったよ」とほめています。

その「氷川清話」によれば・・・

勝海舟は、日清戦争に「大反対だった」といいます。
つづけて「支那(中国)五億の民衆は日本にとって最大の顧客サ。
また支那は昔時から日本の師ではないか」。
さらには「剣や鉄砲の戦争には勝っても、経済上の戦争に負けると、
国は仕方がなくなるヨ」、とも。(講談社学術文庫版より)

咸臨丸で米国に渡り、日本海軍の創始者だった、氷川町のご隠居。
いまの永田町についての感想は、どうですか?