たとえば ある もの にどうしようもなく
その ひと 自身を感じることがある
脱ぎ捨てられた衣服 ものの置き方 使われ方 食卓や机の上に
そのひとの かたち がある におい がある
日常生活のほんのひとこま ちいさなエピソードにおいてさえ
私たちはそれを間違えようがない
ならば ここにある もの たちは まぎれもなく
そのひと そのもの ではないだろうか
私はすでに ひと を もの と呼んでいる 混同している
そこに あわいはない 不思議なことに 区別されない
どれが ひと で どれが ものか さえ わからなくなってしまう
だとすれば これは なんて幸福な写真集だろう
(後略)
泊昭雄写真集「アワイ~ mono to mono」 序文
topics にも紹介しましたが、泊さんの写真集と展覧のために。
このテキスト、単なる「挨拶文」ではなく、ほんとうにそう思うのです。
泊さんの雑誌「hinisim」や、写真集に「ことば」を添えられたのは
(副田さんのデザインをはさんで)人生の「出会い」と喜びます。
素晴らしいアーチスト群像とともに、私自身も撮っていただきました。
「ひと」と「もの」が混然となる、この写真集・・・
さて、泊さんが、私に感じた「もの」とは?